旧小机領三十三所子歳観音霊場巡り(第3回)
2020年 10月 25日
この日の朝、メンバー全員が横浜市営地下鉄ブルーラインの新羽駅改札口前に集合時間9時40分までにそろい、この日最初に巡る港北区新羽町2586にある第15番札所の西方寺に向かい歩き始める。西方寺は、先月28日、私が彼岸花の撮影に訪れているので、難なく着くことができた。
1か月ほど前には見事に咲いていた彼岸花も、すっかり刈り取られて見る影もなく、訪れる人も我々だけで境内は静かなたたずまい。観音堂への石段脇の萩の花も、既に終わっていた。観音堂の扉は開かれ、札所本尊十一面観音が安置されている厨子の前には、お前立さんが立っておられた。手を合わせた後、5人そろって般若心経を唱えた。
300年前に創建されたという茅葺の立派な本堂の前で、中に安置されている本尊阿弥陀如来坐像に手をあわせてから、庫裡に伺いご朱印をいただき、西方寺を後にした。
次に向かったのは、港北区新羽町1578にある第16番札所の専念寺。西方寺の前の川崎・町田線を次の横断歩道で渡り、県道13号(横浜生田線)を右折、「新羽小学校入口」信号を過ぎ、道祖神を右に見てカーブを描いて曲がり、「ひかりのくに」の駐車場の先を右折すると、専念寺の門前に出た。
専念寺は慶長6年(1601)、村民良太郎の先祖清太郎が開基となり、耕公が開山したといわれる浄土宗の寺院で、亀甲山専念寺という。山門をくぐった左手の観音堂の前で、札所本尊正観音に手を合わせ、般若心経を唱え、続いて本堂の前で本尊に手を合わせ、庫裡にて御朱印をいただいてから専念寺を後にし、次の第17番龍雲寺(横浜市都筑区東方町1300)に向かう
来た道を新羽十字路交差点まで戻り、そばにある「新羽町」バス停から予定していた11時7分発の「ららぽーと横浜」行バスに乗れ、10分ほどで「東方(ひがしかた)町」バス停降りた。北西の方向に進み、「美濃屋あられ」の所を左斜めに曲がり北に進むと、20分ほどで龍雲寺に着くことができた。
浄土宗寺院の幡森山燈松院龍雲寺は、弘治元年(1550)に創建、養蓮社順譽(慶長元年1597年寂)が開山したといわれる。本尊は本堂の前で阿弥陀如来に手を合わせ、般若心経を唱え、庫裡で御朱印をいただく。
ここまで極めて順調。予定通り12時5分前、都筑区池辺町2565にある次の第18番観音寺に向かう。真南の方向に進み、新坂を過ぎ、団子坂を上り下りする。青空の下、柿がたわわに実っていた。「地神塔・道祖神」を過ぎ、川崎町田線に出たところにあった「中華料理の福禄寿」に入る。かなり混んでいて、時間がかかりそうで心配したが、なんとか昼食を済ませ、観音寺に着くことができた。
観音寺は、高野山真言宗寺院で、号は圓國山。本堂の前で本尊正観世音に手を合わせ般若心経を唱えて、庫裡でご朱印をいただく。
予定より5分遅れで観音寺を出発。中原街道に出て少々急ぎ足で歩いたお蔭で、「都田西小学校北側」交差点の手前にある「滝ヶ谷戸」バス停発センター南駅行バスに辛うじて間に合って、本当によかった。何しろ1時間に1本しかないので。
終点のセンター南駅バス停でバスを降り5分ほど歩いて、第19番寿福寺の観音堂に着いた。ここは無住だが観音堂の他にもう一つ建物があった。札所本尊正観世音に手を合わせ、般若心経を唱えてから、寿福寺本堂(都筑区茅ケ崎東1-7-1)に向かう。
徒歩11分ということだったが、これまで歩いてきた疲れからか、かなり離れているように思えた。途中で茅ケ崎城址の前を通り、寿福寺の本堂に着いた。浄土真宗本願寺派の寺院で、号は綱崎山という。本堂の前で手を合わせ、庫裡に伺う。ご住職からご朱印をいただいた際、本堂と観音堂がこんなにも離れている訳をお聞きしたら、その昔、この辺一帯はすべて何とかの守が治めていたからだというご返事だった。よくわからないが、ここに来る途中にあった「茅ケ崎城址」なども含めてこの辺一帯を治めていた殿様(多田山城守行綱なのだろうか)が、この寿福寺も含めて持っていたからではないかと思った。
寿福寺を後にして、この日最後の第20番真福寺(横浜市青葉区荏田町432-8)に行くバスに乗るため、センター南バスターミナルに急いだ。ぎりぎりで15時1分発のバスに乗れて本当によかった。ここも1時間に1本しかないので、もしも間に合わねば、まるまる1時間待たなければならないところだった。「江田ドエル前」バス停で降り、2分ほどで真福寺に着いた。
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