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令和4年(2022年)9月30日、無事に卒寿を迎えることができた、アクティブシニアのブログ


by jhnt
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旧小机領三十三所子歳観音霊場巡り(第2回)

新型コロナウイルス発生のため、12年に一度の「旧小机領三十三所子歳観音霊場」の貴重なご開帳の機会を逸してしまった。その後、この札所巡りをすることを決め、2020年7月24日(金)に第1回目として第一番から第七番までの7札所をいつものメンバーで巡った。

続いて、8月に予定していた第2回目は、その頃から始まった連日の猛暑のため熱中症の恐れがあるので、止む無く1か月延期し、先週金曜日(2020年9月11日)、Wさんが新たにメンバーに加わり、5名で実施した。

この日の朝、メンバー全員が京急横浜駅ホームにそろい、予定した電車を1つ目の神奈川駅で下車。10分ほど歩いて、この日最初に巡る第8番札所の宗興寺に到着した。

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宗興寺は、曹洞宗寺院で正式名称は開塔山日輪院宗興寺。創建年代は不詳とのこと。本尊は聖観世音菩薩で、随翁永順(慶長17年寂)が開基となり曹洞宗寺院として創建。江戸末期の横浜開港時に、ヘボン式ローマ字で知られるヘボン博士が当寺に施療所を開いたので、境内に「ヘボン博士施療所跡」があった。

また、山門の手前の寺塀のところに、江戸時代には東海道中の名井戸に数えられ、 当時は宗興寺のことを「大井戸寺」と呼ぶほどであったといわれた「神奈川の大井戸」と呼ばれる井戸があった。 江戸初期には神奈川御殿に宿泊する徳川将軍のお茶の水に使われたと伝えられ、また、開港後には、宗興寺に滞在したアメリカ人宣教医シモンズやヘボンもこの井戸水を使用している。また、この井戸の水量の増減によって翌日の天気を知ることができるといわれ、そのため「お天気井戸」とも呼ばれたとのこと。

庫裡に伺いお許しをいただき、副ご住職と思われる方の案内で本堂に上がり、本尊を拝み、般若心経を唱えた。ご朱印を頂いた後、「ヘボン博士施療所跡」の説明板、「神奈川の大井戸」などの写真を撮って、宗興寺を後にした。

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続いて、次の第9番札所、吉祥山慶運寺(横浜市神奈川区神奈川本町18-2)に向かう。川に沿った道を歩いて川を中を見たら、魚がかなり泳いでいた。かれいの様な大きな魚がいたので、エサをやっている人に聞いたらエイだと教えてくれた。何十匹もいるとのこと。しばらく歩いて京急の線路を越えると、慶運寺の前に出た。

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慶運寺は、室町時代の文安四年(1447)に定蓮社音誉聖観(芝増上寺三世)によって開創され、本尊は「阿弥陀如来」、寺宝としては音誉聖観上人像一体と広誉是感上人像一体が安置されているとのこと。

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慶応三年の神奈川宿大火で、神奈川区浦島が丘にあって浦島寺と呼ばれていた観福寿寺が類焼し、このとき慶運寺に合併された。焼失を免れた龍宮伝来の浦島観世音像と浦島寺の碑四基は、明治六年に観福寿寺から慶運寺に移された。昭和四十七年の庫裡改築に伴い、本堂東側にあった観音堂は現在の本堂正面に移転。この観音堂は、旧小机領三十三カ所子歳観音霊場の第九番札所とされている。

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横浜開港当時、慶運寺はフランス領事館として使われ、初代領事のベルクールが滞在した。慶運寺は通称「浦島寺」として一般に知られている。

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浦島伝説関係資料のうち、前記の「観世音像」、観音堂脇の「海和天皇勅願所古跡」碑、門前の「浦島寺」碑は、平成七年に横浜市の重要文化財に指定された。

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庫裡でご朱印と浦島伝説のパンフレットをいただき、札所本尊は観音堂の中で、覗けると教えていただく。観世音像いわゆる観音様は、太郎が龍宮より帰る際に乙姫様から玉手箱と一緒に守り本尊として授かったものと伝えられている。柔和な面立ちの観音様。亀の背上に立っているお姿を間近に見ることができるのは、十二年ごとの子歳開帳の期間だけとのことだが、観音堂の扉にお賽銭を入れる小さな穴があり、そこから観音様を拝むことができてよかった。般若心経を唱えた後、慶運寺を後にし、次の第10番札所、子生山東福寺(横浜市鶴見区鶴見1-3-5)に向かう。

寺を出て左折し、京急線の線路沿いの道を進み、京急「京急東神奈川駅」に着く。ここまで6分だった。駅から京急本線品川行に乗車し、花月総持寺駅で下車。1番出口を出て、線路の向こう側の道を右折し、すぐ左折。子生坂の四つ角を左折すると、東福寺があった。ここまで徒歩5分。

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東福寺は真言宗智山派の寺院で、子生山(こいけさん)東福寺といい、本尊は如意輪観世音菩薩。 寛治年間(1087~94)理源大師の法孫勝覚僧正霊夢により生麦浦より本尊如意輪観音を得てこの地に創建された、鶴見で一番古い寺とのこと。本堂の前で観音様を拝み、般若心経を唱えて、ご朱印をいただき、次の第11番札所、仙鶴山松蔭寺(横浜市鶴見区東寺尾1-18-1)に向う。

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来た道を戻り、線路の手前を右折した先の「東福寺前」バス停から41系統新横浜駅行バスに乗り、8っ目の白幡バス停で下車。バス停から10分足らずで松蔭寺に着いた。

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松蔭寺は臨済宗建長寺派の寺院で、仙鶴山松蔭寺といい、本尊は釈迦如来。建武(1334)の草創。開山は建長寺第三十世の枢翁妙環(すうおうみょうかん)仏寿禅師。退隠後、ここに草庵を結んだのが、松蔭寺の始まりとのとこと。本堂の前で観音様を拝み、般若心経を唱えた。

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ご朱印をいただき、松蔭寺を後にして、「東高校入口」交差点付近の店で昼食を食べた。昼食後、「東高校前」バス停から川向町折返場行バスに乗り、「観音前」で下車。すぐ近くに、次の第12番札所、妙智山歓成院(かんじょういん)があった。

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妙智山法華寺歓成院は、高野山真言宗の寺院で、善通法印(永禄1年、1567年寂)が創建したと言われる。本尊は、十一面観世音菩薩。本堂の中に入り、観音様を拝み、で般若心経を唱えた。

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ご朱印をいただき、歓成院を後にし、次の13番札所、海照山圓應寺(横浜市港北区新吉田町4098)に向かう。寺を出て通りに向かい、「ぷちぱーる大倉山」の所で左折。その道を進むと、突き当りが東横線の「大倉山駅」。ここまで9分(650m)西口からホームに入る。ほどなく到着した渋谷行きの電車を次の綱島駅で下車。北口にある「綱島駅前」バス停から新城駅前行きバスに乗り、「高田駅前」バス停で降りた。早渕川に架かる「高田橋」渡り、15分ほど歩いたら圓應寺が見えてきた。

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圓應寺は高野山真言宗寺院で、号は海照山。創建は不詳。本尊千手観音は、聖徳太子より与えられたものだと伝えられ、盛秀(正保4年1647年寂)が中興開山したといわれる。本堂の前が綺麗に整備されていたので、ご朱印を頂いた後、ご住職にお聞きしたら、横浜市民俗文化財になっている、山伏による紫燈(さいとう)護摩火渡りが10月に行われるためとのこと。本堂の前で観音様を拝み、般若心経を唱え、圓應寺を後にした。

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この日最後に巡る第14番札所、正福寺は、圓應寺から歩いて10分位の所にあった。天台宗寺院で、号は星宿山千手院。創建年代等は不詳で、当寺第二世が秀覺(寛永元年1624年寂)だといわれる。本尊は十一面観世音菩薩。本堂の中に入り、観音様を拝み、般若心経を唱える。

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ご朱印をいただき、正福寺を後にし、地下鉄グリーンライン東山田駅に向かう。寺を出て早渕川に架かる「新北川橋」を渡ってしばらく歩くと、地下鉄グリーンラインの東山田駅に着いた。中山駅行きの電車を2つ目のセンター北駅で降り、ブルーラインの湘南台駅行に乗り換え、戸塚駅で降りた。

いつもの店が席がないので、別の店で5人でご苦労さん会をやり、次回、3回目の日取りなどを確認した。終わって、3人と別れ、バスセンターからKさんと一緒にバスで帰宅した。

9月も半ば近くになった「旧小机領三十三所子歳観音霊場」巡りの第2回目。雨にならずによかったが、かなり強い日差しの下、16,000歩、12kmも歩き脚に痛みを感じたが、熱中症にもならずに予定通り無事7ヶ寺を巡ることができて、本当によかった。

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by jhnt | 2020-09-16 10:43 | 札所巡り | Trackback | Comments(0)